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第6話 タイムカードのない三年間

ผู้เขียน: 夢見叶
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2026-01-26 20:08:12

 あの夜から三年分のログが、静かに、でも容赦なく積み上がっていった。

《聖女様の稼働ログ、現在一〇九五日連続稼働ですね。記録的です》

(記録って、本来はうれしい方向で更新したいんだけど)

 頭の中で女神様にツッコミを返しながら、私は机の予定表をめくる。

 この世界にはタイムカードはない。その代わり、公正契約の女神が、私の働いた時間と案件を、黙々とログに変えていく。

 日付がめくられるたびに、その裏で、見えない稼働ログの束が厚くなっていく。

 季節と案件だけが、静かに入れ替わる。

 春には祭祀の準備と祝福予約。

 夏には災害と病と、不作の相談。

 秋には収穫祭と税・地代の契約見直し。

 冬には貧しい人たちへの救済と、寒波対策の祈祷。

 カレンダーは変わっても、私の予定表の埋まり方は、ほとんど変わらなかった。

     ◇

 春。大神殿前の広場は、儀礼の練習をする神官たちと、参拝客の列であふれていた。

「安全祈願は列に沿ってお願いします。寄進の契約書は、あちらの机にどうぞ」

 私は進行表を片手に、もう片方の手で契約書をめくる。

 安全祈願の祝福。寄進に紐づく契約。万一の事故の責任所在。

《祭りの成功条件、だいたい全部『聖女が倒れないこと』で埋まってますね》

(条件の書き方、おかしくないですか)

 やがて王家の馬車が広場に入ってきた。

「この度の祭祀における聖女の働きに、王太子として感謝する」

 祭壇の前で、レオン殿下がそう告げる。

 視線は、私ではなく、民衆の方へ向いていた。

(……名前じゃなくて、役職に向かって話しかけてる感じ)

「恐れ入ります。皆さまの祈りがあるからこそ、務めを果たせております」

 私は教科書通りに頭を下げる。

《はい、『聖女として感謝する』ログ、春祭バージョン一件登録っと》

(女神様、バージョン管理しないで)

     ◇

 夏。豪雨と土砂崩れの後の村は、ぬかるみと崩れた石垣の匂いでいっぱいだった。

「大きな怪我をしている方からお呼びください。順番に治療します」

 私は袖をまくり、ひとりずつ手を取って祝福を流し込む。

「非常時ですからねえ。こういうときこそ、聖女様に頑張っていただかないと」

「有事のときぐらい、徹夜覚悟で……」

 背後で、神官たちが気安く口にする。

(出た。有事だから仕方ない、ってやつ)

 前の世界でも、似たような言葉を何度も聞いた。

 締切前だから。相手が厳しいから。今だけだから。

《ログ的には、非常時モードに切り替わってますけど》

(非常時モードって、どれくらいまで続くの)

《世界契約上は『必要と認められる期間』ですね》

(その『必要』を決める人たちが、仕事を減らしてくれないのが問題なんですよ)

 ひとり治療を終えるごとに、別の人が待っている。

 仮設の机には、支援契約の紙束が積み上がっていた。

「家を失われた方々への支援については……こちらにお名前を」

 私は条文を走り読みする。

 災害に便乗したひどい契約ではない。分割払いの負担も、いちおう現実的だ。

《ここ最近ではだいぶマシなほうですね。被災者搾取タグ、ほぼ点灯してません》

(タグの名前が物騒すぎる)

     ◇

 秋。収穫祭の飾り付けが終わった大神殿の前で、私は別の意味で頭を抱えていた。

「今年の収穫税の率について、もう一度ご説明を」

「聖女様、うちの村は本当に豊作でしてね。ですから、その……」

 豊作の年にだけ増える徴収。凶作の年には相談に応じる、と書かれた契約文。

 一つ一つの案件を見れば、前年よりはマシになっている。

 徴収の上限が決まっていたり、凶作時の免除条件が明確だったり。

「いい契約になりましたね」

 そう言うと、農民たちはほっとした顔で頭を下げた。

《改善ログ、順調に積み上がり中です》

(聞こえはいいけど、ログが増えるたびに、私の机も埋まっていくんだよね)

 一つ一つは、「いい契約」だ。

 問題は、その一つが、何百、何千と積み上がっていること。

 祭りのクライマックスで、今年もレオン殿下が姿を見せる。

「今年も、聖女として民のために尽くしてくれたことに、感謝する」

 去年とほとんど変わらない言葉。

 違うのは、「今年も」という一言が増えたことくらいだ。

(レオン定型文秋バージョン、っと)

 私は内心でカウントしながら、口元だけを上げた。

     ◇

 冬。冷え切った路地で、私たちはスープと毛布を配っていた。

「順番にお配りしますから、押さないでくださいね」

「小さい子どもと、お年寄りを前に」

 私は祝福で火を灯し、少しでも暖かさが長く持つように祈りながら、救済対象の名簿に目を走らせる。

 その背後では、見習い聖女たちが必死についてきていた。

「こちらの列をお願いします」

「小さい子は、こっちで預かりますね」

 書類を抱えて走る子。列を整えながら笑っている子。

 その中に、前に見かけた髪型の子がいるような気がして、私は一瞬だけ目を留めた。

 彼女たちの目は、まっすぐだった。

 聖女様の負担を減らしたくて、と本気で信じている目。

 それが、少し怖かった。

《見習い聖女ログも、順調に増えてますね》

(その言い方だと、すごく危ないものが増えている気がするんだけど)

《危ないですよ?》

 さらりと返されて、私は小さく息を飲んだ。

 少なくとも今は、誰も死んでいない。

 その事実を、私は何度も心の中でなぞりながら、夜の施しを続けた。

     ◇

「前任の聖女様の話、ですか?」

 ある日の休憩時間、ティオがぽつりと切り出した。

「はっきりしたことは、誰も教えてくれないんです。ただ……過労で倒れた、って噂はあります。神の元に召された、とも」

 曖昧な言葉だけが、ふわふわと宙に漂う。

「大神官長は、『よくあることだ』って」

 よくあること。その一言で、前の世界でも多くのことが片づけられていた。

《世界契約ログ上でも、前任聖女様は『奉仕契約の履行中に、神の元へ』という扱いですね》

(それってつまり、働きすぎて倒れた、ってことじゃないの)

《条文的には、そう読めなくもないですね》

 背筋に冷たいものが走る。

(この契約は、歴代の聖女を、ずっと同じようにすり減らしてきたってこと)

 私が今歩いている線の、少し先に、「よくあること」として処理された死がある。

「……聖女様?」

 ティオが心配そうに覗き込む。

「大丈夫。ただの考え事です」

 私は笑って首を振り、手元の書類に視線を落とした。

     ◇

 その夜、私は聖女寮の自室の窓辺に座り込んでいた。

 机の隅には、今日も更新された予定表。

 ページの端には、小さく女神様のメモが光っている。

《本日の稼働ログ、一四時間二〇分。体調タグ、黄色寄りです》

(寄り道しないで、さっさと赤にして止めてくれてもいいのに)

《それをやる権限は、今の世界契約には入ってないんですよねえ》

(世界契約、便利なようで不便ですね)

 自分で言って、苦笑が漏れる。

 終電のない世界。

 タイムカードのない奉仕契約。

 可能な範囲で、という言葉に、上限がつかない働き方。

(前の世界と、何が違うんだろう)

 問いかけるたびに、私は同じ答えを用意した。

 少なくとも今は、誰も死んでいない。

 そう自分に言い聞かせることで、ぎりぎりのところで立ち止まっている。

《聖女様》

 女神様の声が、少しだけ真面目な調子で呼びかけた。

《本当に、誰も死んでいないうちに、何か条文を変えたほうがいいかもしれません》

「……そうですね。でも、今はまだ、仕事がありますから」

 私は苦笑して、膝を抱え込む。

 前の世界と同じ働き方を続けたいかと聞かれたら、答えは、もう知っている。

《ログは、いつでも読み返せます。

 だからこそ、ここから先の数行を、そろそろ書き換えてもいいのかもしれませんね》

(その書き換え、どうやったらできるんでしょう)

《それはまた、別の夜に》

 女神様の声は、そこでふっと途切れた。

 私は窓にもたれかかりながら、目を閉じる。

 少なくとも今は、誰も死んでいない。

 その言い訳が、あと一話も保たないことも知らないままに。

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